株式会社新橋大好き

昭和の本の思い出

古代史にはまった邪馬台国99の謎

こんにちは! 株式会社新橋大好きの鈴木です。新橋で昭和ブックカフェを経営しています。「昭和の本の思い出」

第五弾は松本清張氏が編集した「邪馬台国99の謎」です。

氏は99のトピックスを選び9人の専門家の方々に解説していただいたものを八章に編集しています。氏が「99の謎」を事典と表しているとおり、私は邪馬台国やそれ以外の古代史を学び語る上での様々な知識を本書から得ることができました。

松本清張氏は勝手気ままな解釈や郷土愛による邪馬台国場所特定などの傾向を指摘しています。今もその傾向は色濃く残っているなぁというのが私の印象です。複数説ある点を自説が正しいという前提(本人は証明したつもりでいるが)に従い他の論点における結論を導く人が多いのは今も昔も同じという印象です。倭人伝は誤記したとするものも数多く自説に都合の良い誤記を唱えるのも邪馬台国論争の特徴でしょう。

魏志倭人伝の読み方には複数説が存在する論点がいくつもあります。伊都国以下の放射式か連続直線式か、方角の誤りなどです。考古学上の発見は進んだが新しい史書の発見が(ほとんど)ないためでしょうかこれらの論点は今も全く昔のままという印象です。

99の謎」を読んだ頃、銅鏡や鉄器の出土および伊都国に一大卒があったことや周旋5千里から私は北九州説に傾斜しました。その説を唱える方の著書はかなり読み、特に奥野正男氏の三角縁神獣鏡や鉄器遺跡に関する観察と考察には感服した記憶があります。

99の謎」を読んで以降現在まで筆者は邪馬台国および古代史における研究のあり方について思考してきました。この場を利用して3点述べたいと思います。

魏志倭人伝には倭国と倭地、倭人と倭種という書き分けがあります。この違いについてもっと研究されるべきと思います。北九州説だと今の近畿地方は倭国ではなく倭地になるのかどうか。大和説なら今の関東あたりが倭地になるのか。周旋五千里は書かれている場所から倭国ではなく倭地のことなのか。あるいは書き分けには意味がないのか。

邪馬台国議論では何十年何百年と議論されて結論が出ていない論点が数多くあります。それらに関して自説を論じるのは問題ありませんが、それを前提に議論を進めることはいかがなものかと指摘したいと思います。自説は前提とするのではなく他の事実や推定により証明すべきものだと思います。

古代史研究には、中国史書と古事記・日本書紀(「記紀」)との対比という研究方法が長年行われてきました。その際に記紀は日本国内の伝承に基づくもので史書とは異なるベクトルのものという視点で両者の一致・類似と相違が研究されてきたと思います。邪馬台国研究や倭の五王探しなどでそのように行われてきたと感じます。しかし記紀が書かれた時代には遣唐使が行われていたから、中国の史書は記紀内容に何らかの影響を与えたのではないでしょうか。遣唐使は勉強しに行ったのだから日本のことが書かれた史書は当然調べたと思います。参考にしたか、あえて無視したため偽の部分ができてしまったか、中国史書の間違いに気づき記紀で訂正したか。